平均的な思考を捨て去らなければ、これからは生き残れない時代がやって来る!

From: 自宅の作業場

大企業で行われているIQ偏重で一元的な人材採用システムは「平均的な人材」を登用することを目指した平均的な人間を生み出すためのシステムとも言えるでしょう。そして、ここでいう平均とは、自分たちが設定し求める能力に対して「一定以上の水準で平均的に能力が高いこと」つまり、、、「平均的には優秀だが、突出した部分のない当たり障りのない人材が欲しい」と言っていることになると思います。

日本人は実は、どれだけ優秀であっても一部のみが突出して優れた才能を持った人材を、あまり好まず、平均的な能力、人柄であることを無意識に求める傾向があるのではないかと感じます。

しかし、この「平均」がもたらす弊害とその影響は大きく、これからは「平均的な値から、どれだけ逸脱できるか?」が重要視される時代になっていくのは確実なのです。

大量生産向けの人材を生み出す為に作られたのが、現代の教育システム

とにかく平均的であることを「よし」とする今の社会を作り出したのは「たった4人の影響が強かったから」らしいのですが、その4人とは、、、天文学の平均法を人間に応用し科学界の権威となったアドルフ・ケトレーとその弟子であるフランシス・ゴルトン。そして、世界初の経営コンサルタントであり
科学的管理法で知られるフレデリック・テイラー。平均的な思想を教育界に持ち込んだとされ、教科書が何百万部ものベストセラーとなったエドワード・ソーンダイクといった人物たちであり、彼らが作り出した「平均的な人間を作り出すことを理想とする」20世紀では平均的であることこそが「善」とされていた時代です。

それは工場などでモノを大量生産するには、突出した能力がある労働者よりも平均的な能力を持つ人間が大量にいた方が経営者には好都合だったからだと思います。

しかし、その平均的な人間を作り出す従来の教育システムのなかでは「落ちこぼれ」とされていたトッド・ローズは、貧困の中に生まれ、若い頃から低賃金重労働の仕事を10種類も経験してきた平均的な生い立ちとは言い難い人物でしたが、そんな貧困の中から身を起こし、ハーバード教育大学院の教員となりました。

そして彼は「平均思考は捨てなさい」(『THE END OF AVERAGE』)という著書を出版しています。

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その自著の中でローズは、平均思考は誤りであり、個性が必要とされる時代にどれだけの悪影響を与えているのか?と批判しています。

しかし、平均的思考から抜け出せない人、多くの人に共通するものこそが絶対的に支持されるものであると思い込んでいる人は、平均的思考の弊害からなかなか抜け出すことができないようです。

そこで「平均思考は捨てなさい」の中で紹介されている「平均は絶対的な正解ではない」という事例をいくつかご紹介したいと思います。

平均を求めることは実は、、、非効率であり当然、個性から遠ざかること

バスケットボールのパフォーマンスに関するある数学的分析の結果によれば、、、

試合の結果には、最低でも5つの要素が影響しあっていて、その5つの要素は、得点、リバウンド、スチール、アシスト、ブロックとバスケットボールをプレイするにあたって必要となる基本的な要素です。しかし、これらの5つの要素には、ほとんど関連性が見られなくスチールの得意な選手は通常あまりブロックを得意としません。

また、これは他の項目であっても同じであり、全てをまんべんなく高い技術でこなせる選手というのは実際には存在しないと思います。

優れた選手は、当然ながら身体的な能力が高いのではありますが、他の選手に比較して絶対的に得意なことがあり、その要素を伸ばしていくことこそがアスリートの世界で生き残っていく為には必要なことになるのです。

では別の例として、スポーツとは全く違った観点において平均的であることが絶対的な正解ではない事例を紹介します。それは、4,063人のパイロットを調べたデータなのですが、、、

この調査の目的は、パイロットが座って、最もフィットするコクピットをデザインすることが目的でした。そして、実際の調査から分かった結果では10項目全てが平均の範囲内に収まったケースは何一なかったという事です。つまり、、、

平均的なパイロットなど存在しないのであり、存在しないパイロットにフィットするコクピットを
もし無理矢理デザインすれば、そのコクピットは、誰にもフィットしないのであり、心地よくパイロットが操縦するには、ふさわしくないコクピットが出来上がってしまうと解釈できると思います。

それに、誰が座っても違和感を覚えるようなデザインのコクピットであれば、それはすなわち安全性に対して、大いに疑問が残ると言え、パイロットが飛行機を操りにくいと思うようなコクピットでは
「安全性に重大な欠陥がある!」といった結論になるのです

個人の可能性を最大化する「個性学」

平均思考を教育界に持ち込んだソーンダイクは、ランク付けに執着したため、現在の複雑で個性を伸ばすには全く適さないような教育制度を生み出す土台を作りました。

そして、この個性を無視するかのような現代の教育制度に対して、トッド・ローズはハーバード教育大学院で心/脳/教育プログラムを主催し「個性学」を推進しています。

個性学とは、、、分析してから集計する方法を前提とし、まず重要視するのが個人の中に一定のパターンを見い出すことです。そして次に行うのが、何人もの人たちのパターンを集計し、そこから何らかの方法でグループの傾向を洞察していくという学問です。

対して、平均思考から作られた現代の教育では全員が一律、同じペースで学ぶことを強要されますが、学習ペースに僅かな柔軟性を持たせ、個々人のぺースにあった学習カリキュラムを組むことによってほとんどの生徒は、成績を向上させることができるということが、実験結果から分かっています。

そして、社会に出てからの仕事であっても、平均的な能力を持った者全員が同じ結果を導き出せるわけではなく、その成果はあくまでもコンテクスト(状況)に左右されるのであり、最高の成果を発揮させたいのであれば「最高の成果が出せる状況を用意すること」が重要であると言えるでしょう。

個性には3つの原理がある

個性の3つの原理とは、、、ひとつは「個性は、ばらつきがあり当然才能にもばらつきがある」という原理。もう一つは「同じような個性であっても状況によって結果が左右される」という原理。そして、「その人自身に合った最適な道筋は個性によって決定されるものである」といった原理です。

個人よりも、集団を重視する文化が定着しているアジアでは意外にも、欧米以上に科学的管理法が採用されているそうです。

それに、日本国内の名だたる企業である東芝も、科学的管理法の提唱者であるフレデリック・テイラーをコンサルタントに迎えて、標準化と労使分離の原則に従って組織を全面的に再編したそうです。

しかし、近年の東芝の凋落ぶりを見る限り、標準化や平均化にはメリットよりも弊害の方が大きいことを図らずも証明してしまっていると思います。

ですから、これからの時代はもしかすると大企業ゆえの受難が始まる時代かもしれず、平均的な器に収まった大企業よりも、平均から脱却した小規模事業者の方が有利な時代がやってきているのであり「個性を磨き抜いた人ほど、活躍できる時代がやってくるのでは?」と考える事が出来るでしょう。

だからこそ自分はコピーライター、セールスライターといった自分の個性を生かせる道を選んだのであり今、こうしてブログを書いているこの瞬間こそが「自分の選んだ道が自分にとっては正し道であった」と実感する事ができるのです。

本日もありがとうございました。

 

 

 

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