価値ある情報発信に「オリジナル」は必要か?

情報発信をする時に何を参考にするのか?という悩みは、ウェブを媒体にしたビジネスをしている人、それに店舗などのリアルビジネスをしている人、どんな人にでも、商売をしている人であれ、それぞれに経験があるでしょう。ウェブ全盛の現代社会において情報発信のやり方、そして、その中身はビジネスの浮沈をも左右する「最重用事項」であると言えます。

そして人によっては、ウェブをリソースとする場合、有料無料のメルマガを合わせて10誌も20誌も購読している人もいるくらいです。それに、ウェブ以外にも紙媒体の書籍など、参考になるものはいくらでもあるでしょう。

そこで、次に気になることとして「それじゃあ、それらをどうやって参考にすればいいの?」という事が次の関心事になると思います。

で、プロのライターとしての私なりの知見を述べると、参考にするといいのは、、、

「話を膨らますネタ」にするということであり、書いてあることをそのまま真似るということではありません。

当然、参考にしたものの表現を引用したり、場合よってはそのまま文中に使わせてもらうこともあるでしょう。その場合は当然、出展先を明らかにする必要がありますが大事なことは、、、

「自分では発想できなかったテーマを思いつく」とか

「他人視点での考え方を教えてもらう」

といったことであり、そこに自分なりの考え方を表すことが、1番大事なことになるのです。基本的に人間は個々の体験は違ったものであり、同じものを見て触れて感じることが全く同じになる事はありません。

自分という人間の経験のフィルターや、脳の中にあるこのデータを通して導き出されたものは「すべからく自分だけのオリジナリティーあるものである」と言えるでしょう。

ですから、他の人の「こんな経験をしました」という報告を目にしても、その経験を自分という人間の視点で通してみれば、全く違った解釈ができるかもしれません。

それを文章なり、音声なりで発信していけば、それが自分なりの情報発信と言えるものになるのです。

しかし、オリジナリティーをあまりにも気にすると、明らかに受け手が拒否感を示すような内容を書いたり、大げさで、あざとい表現を使ってしまうのは、あまり褒められたやり方だとは言えません。

コピー初心者が心掛けるべき情報発信の前提は、、、

私は自身が学んだコピーライティングでは「形容詞は、極力使うな!」といった格言があると思っています。

例えばですが、、、「究極の」「至高の」といった表現をすると、その対象をとても「凄いもの!」と思わせる効果があるように思われますが、このような表現は抽象的であり、なんの具体性もありません。なので、逆に胡散臭くなってしまうのであり、読み手に不快感や警戒感を与えてしまいます。

しかし、このような表現方法はウェブ上で散見される手法であり、本来のコピーライティングとはかけ離れたものだと思っています。コピーとは本来、良いもの、良い商品、良い商材の魅力を正しく引き出し、市場や見込み客に「その対象の魅力を分かり易く伝える技術」と言えるでしょう。

それに「自分らしさ」とか「オリジナリティー」を意識するあまり、あまりにも大袈裟な、過大な表現に終始したり、逆に他人の目をことさら気にして「何か、読み手の気を引く、うまい表現はないか?」と自分らしさがなくなってしまうようでは、自分というフィルターを通す意味がないでしょう。

情報発信は「プロのレベル」では相応のレベルを求められると思いますが、コピー初心者や、自身の商材を売るのが目的の人であれば、意識するべきなのは「自分らしさを伝える表現」だと思います。

このブログの記事は一通あたり、数千円から数万円の価値のある内容です。事実、私はゴーストライティングのプロでもあるので、プロのライターとして、このブログを読んで下さる読者に、読み手が関心を持つコピーについて、1つアドバイスをすると、、、

「自分を知ってもらうなら、出し惜しみはしない!」

このような考え方になると思います。無料で良いもの、良い情報が手に入る時代ですから、他の人と差別化するなら自分の知っている「有料レベルの知識」を打ち出していく事が、とても有効だと思います。表現の上手い、下手は二の次であり、読み手に貢献する意識があれば、自ずと価値のある情報に仕上がっていくだろうと思えます。

人は「どんな情報を発信しようか?」「どんなことを提供すれば、価値があるだろうか?」と考えながら成長する過程で、誰かから何らかの影響を受けています。

一般的には、もっとも大きな影響を受けるのは両親であり、後は自分の身近にいたオトナの影響を受けるでしょう。そして、徐々に自分という人間の考え方が出来上がっていくのであって、最初から全くのオリジナリティーを備えていた人間など、皆無であると思います。

そもそも、周囲の人間と同じ言語を使っているといった時点で、その人の思考は、その言語体系の影響を受けるのであり、話す言葉が違う人種によって、考え方に大きな差があるのは、ある意味当然だと言えるのです。

因みに、私は技術者として海外で働いた経験がありますが、日本人と比べて、韓国などのアジア系とカナダ人などの大陸系の人では「こんなに違うのか、、、」と使う言語や環境によって、考え方が全く変わるのだな~と、しみじみと感じたことが何度もあります。

良いコンテンツとは、、、内容が「価値あるものであり、かつ自分らしいもの」

情報の中身であるコンテンツは「この話って、どこかで聞いたことがあるな?、、、」と似たり寄ったりのものはそこら中にゴロゴロしているのであって「全くのオリジナルコンテンツ」なんてものも厳密には、この世に存在しないはずだと思います。

ですから、どこの誰とも被らないようなコンテンツとして情報発信すれば逆に、どこの誰にも響かないようなコンテンツとなる可能性があり、あえてオリジナリティーを求めたが故に、誰にとっても無価値な情報になってしまうのは避けられないことだと思います。

人間は、個々の経験してきたことは違いますが、まったくの他人であっても接しているうちに人間関係が成立するのは、それぞれに共通する何かがあるからであり、共通する何かがあるなら厳密には「この世の中にオリジナリティーと言えるものなどない!」と言い切ってしまうことができるでしょう。

現実問題として、その情報の中身がただのパクリなのか?それともその人独自のものなのか?といった境界線を引くのは、とても難しいと思います。

ですので、結局のところ言えることは、、、

自分の頭で考えた結論や視点があるのか?ということであり、自分というフィルターを通した中身になっていれば、それがオリジナルだと考えるしかないでしょう。

しかし、1人の人間の考え方も時が経ち、経験の量や質が変われば、変化していくのは当然であり、どこかの時点で、元ネタと同じ考え方をするようになるかもしれません。

そのようなケースも考えれば、オリジナリティーとしての境界線を引くこと自体が無理であり、私の結論としては、、、

「書きたいことを、描きたいように自分の思うがままに、表現するしかないだろう」と思います。

そして、書き続け発信し続けているうちに、出しているものに自分らしさが加わり、それを気にいってくれる人がいたならば、その時、初めて「自分だけのオリジナリティーができた」と考えることができるのかもしれません。

しかし、無価値なものでは読み手が振り向いてくれることは、ないのであって、自分の書いたいことを自由に、けれども中身を充実した価値あるものとする事が、あなたにも受け手にも有意義な情報発信になると思います。

本日もありがとうございました。

追伸

魅力的なコンテンツについての内容は、こちらの記事が参考になると思います。

どうぞ、ご覧になってご自身のビジネスにお役立て下さいね!

魅力的なコンテンツの定義は、、、

追伸の追伸

博報堂と言えば、、、やはり広告、CMといったイメージが浮かぶのは当然ですよね?

で博報堂の社員も参考にしているかどうか?は知りませんが(笑)

「こんな広告もあるのか~」とタイトル通り

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